アフリカとの出会い57
 「キクユ族のママ、ワンガリ・マータイさんの生き方に学ぶ」    

  アフリカンコネクション 竹田悦子

 2011年9月25日、アフリカのケニアから世界中に訃報が届いた。日本では、毎日新聞との「もったいないキャンペーン」で有名になった。2004年ノーベル平和賞受賞、2002年にケニアの国会議員なり、2003年から2005年までは、環境副大臣を務めた。癌療養中だったナイロビの病院で、Wangari Mattai氏がこの世を去った。

 ケニア政府は、彼女の死を受けて国葬とし、新聞には彼女の功績をたたえる言葉が躍った。彼女を形容するときは、必ず東・中央アフリカで唯一の博士号取得者であると書かれる。彼女は、ケニアだけでなく、アフリカ女性の中でも数少ない高学歴者であり、大学教授、議員、政治家であり、環境活動家であった。そこまで聞くと、人間としても女性としても、雲の上の存在として目に映るだろうが、彼女を知る人々や彼女の著作からは、「笑顔の素敵なキクユのママ」としての人柄から出る親しみやすさと活動家として不屈の精神で生きた姿のコントラストに心動かされる。

写真:パーティで談笑するワンガリ- マータイ女史
                                        

 「unbowed」(邦訳:へこたれない)という本をちょうど私は今年の9月7日に読み始めた。毎日新聞の招聘で来日していた折、ケニア大使館主催の歓迎パーティーで初めてお会いしてから6年、その時に買い求めていた本を思い出したように手に取ったのだった。そこには、笑顔の裏にある彼女の人生の軌跡のすべてが彼女の言葉で綴られていた。

 人として、女性として、職業を持つ社会人として、政治家として、活動家としての彼女の葛藤と充実の一つ一つが丁寧に記録されていた。本に書かれた迷いや不安は、まさに普通の人が日々感じるものと同質のものだった。家庭と仕事の両立、学歴と男性社会での挑戦、部族間の軋轢、志を持って取り組むもののさまざまな壁にぶつかる様子。それでも、歩むことを止めない理由を彼女は、「アメリカで受けたウーマンリブ(注)の影響」と本で述べている。

 女性である故、ケニア社会やケニア政府から受けてきた差別や偏見は、失業させられたり、投獄されたりといった形となってマータイさんを襲った。マータイさんがやりたいと思っていたいろいろなことを諦める十分な理由になると私は感じる。しかし、決して何一つ諦めなかった彼女。むしろマータイさん自身に起ったことを糧として、自分の専門とする環境保護とケニア女性やアフリカ女性の地位の向上を目指す活動を組み合わせ、植林活動として広めて行った様に思える。

 彼女はケニア最大部族のキクユ族で、彼女の実家は、私の義理の両親が住むキアカンジャ村からは、目と鼻の先だ。8年前、実家の畑を訪ねたときには、畑の端に、15センチほどの木の苗が100本くらいまとめて植えられていた。義母を始め、近所の女性が集まって、木の苗を共同で植えたとの事だった。そこには看板があり、“green belt movement”と書かれていた。彼女が代表を務めた活動の名前である。彼女は、街中から離れた村の、また奥にある畑まで苗を持ってやって来ていたのだ。

 「現金収入の習慣のない農村の女性たち」は、ケニアの標準的な女性たちの姿だ。都市で仕事に就く女性が増えて来ているとはいえ、今でもケニア女性のほとんどは、伝統農業に従事し、自給自足の生活が基本であり、生活の糧を自然に頼っている。中でも、食材の煮炊きに使う薪を取るため、森林を伐採しているし、また木炭の製造も禁止されているにも拘らず、手近な現金収入の手段としてさかんになされている。そのようにして、木は生活の為にどんどん伐採されていく。マータイさんの植林活動とは、農村の女性たちに、木を使ったら植えるように導くことだった。苗は無償で提供され、植えた木が6ヶ月たった時点で成長していたら、木1本につき少しばかりの現金が渡されるのだ。

 自然を守ることよりも、現金を得ることのほうが大事と考える経済主導の価値観へとどんどん人々が変わっていくのを見つめるマータイさんの目は、貨幣経済の発展と農村での伝統生活のバランスをうまく調和させたものだといえる。その活動はケニア国内だけでなく、他のアフリカ諸国、または世界へと発展していった。

 環境破壊は、先進国だけの問題ではない。先進国がもたらした経済優先の価値観は、ケニアの都市から農村までどんどん浸透し、人々の価値観や生活を変えていく。イギリスの植民地から独立後50年経ったケニア。その変化は、外国人の私からでも十分感じる。農業を生業として生きてきたキクユ族だけではない。放牧して生きてきたマサイ族。漁をして生きてきたルオー族。都市の経済発展と共に、農村も変わっていくし、人も変わっていく。そして生活が変わっていく。

 人が、生活が、豊かになっていくとは?マータイさんは、植林を続けながら、経済中心の価値観に警鐘を鳴らし続けた。「水、空気、土、関係ないと思っている人も思っていない人も、それら・自然からの恵みで私たちは生きている。自然に感謝することを忘れないこと」と言っている。

 彼女の歩んだ道に思いを巡らす時、自分の悩みなんて小さいと感じる。もっと大きな悩みや苦労を体験したマータイさんは、へこたれなかったのだ。「あなたにもわたしにも出来るはず」マータイさんの人生は私をそんな風に励ましてくれている。

 最後に、「土葬」が一般的なケニアにあって彼女は、「火葬」を生前より希望していたらしい。ケニアの棺は木が一般的で、自分のために木が更に1本切り倒されることを是としなかった。彼女が71歳で亡くなるまで植えた木の数、4000万本。「木」を植えることで、女性の一人ひとりの心に植え付けた誇り。枯れることなく、上へ上へ成長し続けていって欲しい。

(注)ウーマンリブ:1960年代後半、性による役割分担に不満を持った高学歴主婦や女子学生を中心に「男女は社会的には対等・平等であって、生まれつきの肌の色や性別による差別や区別の壁を取り払うべきだ」という考えのもとで開始され、1979年国連総会において女子差別撤廃条約が採択されるなどその後の男女平等社会の推進に大きく貢献した。「ウィキペディア」百科事典より


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